2015年1月17日 (土)

本郷ライダーの敗北【仮面ライダー萬画版】

Hi 最近、電子書籍の展開も多様化し、書店では手に入りにくい絶版本が次々に電子書籍化で復活しています。
 そんなわけで、「怪人同盟」「そしてだれもいなくなった」「千の目先生」など、石ノ森章太郎作品を最近読みあさっていたのですが、その中で萬画版「仮面ライダー」(これは絶版ではありませんが)を久々に堪能しました。

 皆さんご存じの通り、本書における本郷猛は戦死というテレビ版よりもショッキングな形で一文字隼人と交代しています。実を言うと、本郷の戦死に至る過程には連載当時から些細な違和感を感じていました。そして、改めて読むと、12人のショッカーライダーを相手にするという戦いにおいて、妙に多発する本郷の戦術ミスが違和感の正体と思い当たりました。

 まず、12人のショッカーライダー出現を、藤兵衛や研究所のスタッフに明かさなかったのは重大な失策です。対ショッカー戦のための研究所を作った以上、戦況は素直に明かすべきです。 ショッカーライダーが本郷邸に侵入してこないのは、研究所の防備を警戒してのことと思われますから、一同に重大な危機を明かし、籠城戦に持ち込めば形勢はかなり違っていたでしょう。
 そもそもショッカーライダー一人一人は本郷ライダーに劣る能力しか無く、変身できない本郷に翻弄されて次々に倒されています(*1)。研究所の助力を得ながら各個撃破すれば勝てない戦いではなかったでしょう。
 また、ニセ記者・一文字隼人の挑発に乗り、一人で外出したのも「らしくない」失策です。ここで一文字を尾行しても、本拠地発見などの効果は期待できません。一文字についての調査は藤兵衛に任せ、本郷はサイクロン号の強化(*2)と次の戦いの作戦検討に専念すべきでした。

 総じて、本郷がせっかくの研究所と仲間を活かせず、一人で背負ったための敗北でした。物語冒頭でのルリ子とのすれ違いで感情を乱した本郷が、自分の殻に引きこもって冷静な判断ができなくなってしまったとも解釈できますが、それは本郷の失点と言うよりは、大きな使命を負わされてしまった人間・本郷猛の限界だったと言えるでしょう。
 本郷を狙った弾丸が一文字に命中し、その結果ショッカーライダー・一文字の洗脳が解けて新たな仮面ライダーを誕生させるという僥倖がなかったら、この戦いはショッカーの完勝で終わるところでした。

 作品世界を離れて読者の立場に戻ってみると、本作の特色であった「ロンリーヒーロー」の性格付けが、主人公の敗北につながり、一文字と脳だけが残された本郷との二人三脚の戦いに発展したのは皮肉ながら見事な展開だったと思います。
 その後、本郷はアンドロイドとしての身体を得て復活しますが、石森版「仮面ライダー」の物語はそこで終了します。思い込みが強く一人で背負う本郷と、核心は抱え込みながらも心を閉ざさない一文字との対比は大好きなので、復活後の本郷と一文字のコンビネーションを、もう少し観たかったというのが正直な感想です。

 しかし、萬画版では未完成に終わった本郷と一文字の対比は、藤岡弘と佐々木剛という絶妙な組み合わせを得て、TV版で存分に描かれました。彼らは今でも最強のコンビです。Wライダー万歳!

  •  (2014年11月8日のTwitter発言を再編集しました)

  •  
    *1:12人のショッカーライダーの中で、2人は林の中での追跡戦で本郷に翻弄され、オートバイごと大木に激突して絶命する脆弱さです。また、生き残って本郷に勝った6人も、突如出現した一文字ライダー一人に一方的に押されて全滅しています。 


  • *2:サイクロン号の発進口を林の中に作ったため、変身に必要なスピードを出せなかったのも失策でした。本郷が生き残っていれば、これも改善され変身用の直線コースを通していたでしょう。

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    2014年7月25日 (金)

    日本SF大会「なつこん」に参加してきました。

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     第53回日本SF大会「なつこん」が、7月19,20日の二日間、つくば市のつくば国際会議場で開催されました。僕は、前日まで本業が修羅場だったのですが、ぎりぎりで参加申し込みも宿の手配もなんとかなり、19日朝にあたふたと出発しました。

     横浜市内から在来線とつくばエクスプレスを乗り継いで、2時間半程度で会場へ到着。つくば国際会議場は、やや地味な外見ながら、ガラスを多用したデザインや周囲の樹木との調和が売りの個性的な建物で、特にエントランスホールの特徴的な階段は多くのTVドラマで使用されています。もちろん、戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズでも何度か使用されています。

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     今大会のゲストオブオナーは、作家の瀬名秀明先生と、多くのSFアニメでおなじみの佐藤竜雄監督です。その瀬名先生の開会宣言が行われようとしたとき、お約束通り怪人と戦闘員が乱入し、開会式は茨城県のご当地ヒーロー「時空戦士イバライガー」のショーに早変わりしました。

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     定石通り悪者が撤退し大会の平和が守られた後は、ようやく本物の開会式です。

     瀬名先生は、佐藤監督の「学園戦記ムリョウ」が大変お気に入りとのことで、初日夜の公式パーティーで主題歌を歌うとの宣言がなされました。(パーティー本番で実現しました!)また、市原つくば市長の挨拶も、社交辞令だけのものではなく、科学都市つくばとSFとの関係にしっかりと注目してのスピーチでした。そして、瀬名先生の音頭による「さあSFの時間だ!」のコールで、大会は本格的にスタートしました。

     矢的は、SF大会内で情報誌を配布するボランティアサークル・時刊新聞社に長年所属しており、今年も時刊新聞コーナーと各種企画を往復しながら、取材して記事を書く二日間でした。

     以下、大会中のことを思いつくままに並べてみます。

    • ディーラーズコーナーは、同人誌、商業誌、お手製オリジナルグッズなどが並び、今年も盛況でした。「小保方博士とSTAP細胞に星雲賞を」と訴えるチラシとパネルが目を引きました。確かにサイエンスフィクションには違いないのですが(^_^;

    • 内外のSFファン向けTV映像を紹介する「TVファンタスティックス」では、今年も池田憲章先輩のトークが炸裂していました。脱線と軌道修正を繰り返しつつ濃度の高い情報の連発です。とりあえず「『キャッスル』第5シーズン6話は必見」とだけ申し上げておきます。

    • 荒巻義雄先生のトークでは、'70年代に書かれてその後中断していた大河スペースオペラ「ビッグウォーズ」シリーズが完結に向けて再開という嬉しい情報に接することができました。現在、第2部「銀河編」がWeb連載中で、イラストボードを交えながら今後の構想が語られました。今年81歳の荒巻先生、まだまだ意気軒昂で安心しました。

    • 夜の公式パーティーでは、矢的も何かと個人的にお世話になっているSFバイクサークル「スティールフェアリーズ」の皆さんが、タキシード&ドレスで登場されたので何事かと思いきや、パーティー中に結成30周年をお祝いするセレモニーが行われたのでした。'84年に北海道で行われた「EZOCON2」での結成でしたが、あの思い出深い大会から30年ということにも思い至り、感慨もひとしおでした。同好の士の集まりを十年単位で維持していくということは大変なことです(実感)。本当におめでとうございます。

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    • たまたま池田憲章先輩と同じホテルで、同室の友人共々短時間のつもりで池田さんの部屋にお邪魔しました。……めちゃくちゃ濃いトークになり、短時間では終わりませんでした(^_^;

    • 販売されていた数々の同人誌の中でも目を惹いたのは、大会公式アンソロジー「夏色の想像力」です。17名の今をときめくプロ作家諸氏が結集して他では読めない短編を提供し、それを創元SF文庫を模した体裁で仕上げた夢のような同人誌です。

     僕たち時刊新聞社一同は、閉会式には入らず、時刊新聞の最終号と残ったバックナンバーを持ってホール出口に待機です。閉会と同時にホールから出てくる同好の士の皆さんに、みんなで新聞を渡していくのはある意味至福の時間でもあります。

     その後は、つくば駅近くの居酒屋で余韻に浸りつつ濃いトークを交わしてから解散しました。幾人かの仲間はもう一泊or二泊して、科学都市つくばを堪能していったとのことです。

    「さあ現実の時間だ!」

     来年は米子でお目にかかりましょう。

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    2014年1月 2日 (木)

    謹賀新年2014

    Negisi 皆様、あけましておめでとうございます。
     旧年中は、いろいろとお世話様でした。
     時のたつのは早いもので、いよいよジェッターマルス誕生まで、あと一年となりました。

     ここしばらく、Twitterの気楽さにかまけて、長めの雑文を書けなくなっていました。
     このブログもすっかり錆びつかせてしまいましたが、何もネタがなかったわけではなく、本業の理科研究も、道楽の同人活動も相変わらずにぎやかにやっております。
    今年は、このブログやmixi日記などを活用して、文章による発信をより心掛けていきたいと思います。

     元日は、例年通り年賀状の素材撮影に回ってきました。
     写真は、横浜の根岸森林公園で撮ったものです。ここは日本の競馬発祥の地ですが、同時にウルトラファンにとってもちょっとした聖地だったりします。 (年賀状は2日現在製作中です^^;)

     移動時の電車内では、「風雲児たち 幕末編」を、電子書籍で二度目の黒船来航まで一気読みしました。もちろん大河漫画の大傑作であり、久々の幕末史復習になりました。しかし、みなもと先生の語り口は説得力が有り過ぎるので、「みなもと史観」も数ある史観の一つであることに気を付けて、自分自身のしっかりとした歴史観を磨かねばとも思いました。

     では、本年もよろしくお願いいたします。 (2014年1月1日のmixi日記を改稿)

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    2013年2月16日 (土)

    『サイボーグ009(モノクロ版)』 第1話「恐怖の怪人島」

    前置き
     ご無沙汰しております。休眠状態のブログを何とかしようと、心機一転で不定期連載をはじめさせていただきますm(__)m。テーマは、『サイボーグ009』(モノクロ版)です。

     本稿は、今から6年前に今は亡き@niftyのアニメフォーラム「思い出酒場」での連載を狙って、第1回で中断してしまったものの再開です。
     当時、ある特定のユーザの書き込みのために荒れてしまったこの会議室に、本来の懐かしアニメの話題を投入しようと思って始めたのですが、特に反響も得られぬままWebフォーラムそのものが廃止になってしまったため、そのままにしていました。

     いきさつはさておき、小説版完結編でひとまずのけじめが付けられ、同時に漫画版完結編の連載や新解釈の映画で、再び『009』の周辺が賑やかになる中、ここで原点の一つとも言うべきTV第1シリーズを振り返ってみたいと思います。
     本作全26話は、今見ても面白い快作です。良く話題になるのはテーマ性の高い「Xの挑戦」「太平洋の亡霊」などですが、その他のエピソードも娯楽編からテーマ編までバラエティに富んでおり、語れる話題が多々あります。

     1話から順に気ままに語っていきますので、よろしくお付き合いのほどをm(__)m

    第1話「恐怖の怪人島」1968年4月5日放映

     脚本 伊上 勝/作画監督 若林哲弘/演出 田宮 武

    放映開始当時の状況
     本作放映開始の前年、少年マガジンの「地下帝国ヨミ編」で終了した原作は、読者の助命嘆願によって冒険王で連載を再開しました。

     その復活第一作である「怪人島編」が早くも第一話で映像化です。冒頭が怪人博士たちによる刑務所襲撃シーンから始まり、少年院脱走から始まった原作初回へのオマージュにも思えますが、意図的なものかどうかはわかりません。

     スタッフの意識としては、'66年と'67年に公開された劇場映画版を引き継いでいるということらしく、この第1話では初回につきものの基本設定紹介がほとんどありません。いきなりのスタートで、サイボーグ戦士たちが何者かなどの背景が語られていないのです。
     この時期の「サイボーグ009」は人気マンガであったことは間違いなく、2度も映画になっているメジャー作品だったので、多くのファンにとっては説明無しの展開が気にならなかったのかも知れません。しかし、初見の視聴者がこの第1話をどのように見たか、気になるところです。
     今の感覚で考えれば、9人全員が揃う「南極の対決」あたりを第1話に持ってきて、「恐怖の怪人島」を2話か3話に配するのがセオリーと思うのですが、設定説明抜きの娯楽編からスタートさせてしまうあたりにある種の豪快さを感じます。

    王道の展開
     さて、事件は巨大なネズミによる刑務所襲撃から始まり、ちょっと怪獣映画的な演出でつかみをねらっているようです。

     いかにもな怪しい洋館の出現に、マッドサイエンティストによる怪しげな陰謀、そして逃げ延びた脱獄囚と009たちとの偶然の出会いと、物語は王道どおりに進んで行きます。ここで003は敵(人間を発狂させる狂い虫の群れ)の襲撃をいち早くキャッチし、009はスーパーガンで応戦ととりあえずの主役紹介があり、発狂した囚人をギルモア研究所に収容したところでギルモア博士や006・007コンビのキャラクターもさりげなく紹介され、一応の第1話らしさは見せています。
     一方、ドラキュラ博士・セムーシ博士のマッドサイエンティストコンビは拉致した囚人を巨人化させますが、彼らは原作のような組織の手先ではなく科学をオモチャにして世界征服に興じているだけで、そのあたりが原作とのムードの違いを作っています。

     009・006・007の三人は例の洋館に潜入し前哨戦となりますが、ここで3人はコミカルさを交えつつ大暴れして各自の能力を見せつけます。このあたりが紹介編らしいと言えなくもないのですが、この3人はシリーズを通して活躍が多いのでさほどの特別感はありません。
     円盤で逃亡した怪人博士コンビは「やつらは00番号で呼んでいる。きっと仲間がいるはずだ」と意外に冴えたところを見せ、ギルモア研究所を襲撃し例の囚人と003の拉致に成功します。コミカルなイメージとは裏腹に、この二人は強敵のようです。

     敵の挑戦に応じて怪人島に突入した009たちは、原作どおりに巨大化した島の生物たちによる防衛網を次々に突破して、003を人質にした怪人博士コンビと対峙します。一度は降伏を覚悟した009でしたが、小さなハリネズミに変身した007のささやかな抵抗で形勢はあっさり逆転し、円盤での逃亡をはかった敵は飛びついてきた009の時限爆弾であっさりと最期をとげました。
     そして、巨人にされていた脱獄囚たちはいつの間にか元の姿に戻され、009たちは怪人島を爆破して事件は解決しました。

    まとめ
     先に書いたように、この第1話では基本設定をあえて説明しておらず、初見の視聴者には不親切とも取れます。しかし、連続する活劇の中でレギュラーメンバーの個性や能力は過不足なく紹介されており、SFヒーローものとしてのつかみは充分です。また、巨大ネズミの襲撃から最終決戦まで30分のドラマの中で活劇シーンが贅沢に盛り込まれ、その密度は今見ても捨てがたいものがあります。
     そもそも本シリーズは、原作の重いテーマ性と東映動画らしい陽気な活劇とのバランスで成り立っている作品なので、正統派娯楽編を最初に持ってきたのは正解だったのかも知れません。

     次回は、問題作にして傑作の「Xの挑戦」です。

    追記

    1. 怪人島への潜入時に、万能サイボーグであるはずの彼らが水中ボートや潜水服を使っているのは設定チェックのミスと思われます。
    2. 今回の出席 009 003 006 007 ギルモア博士。洋館への潜入時に、003は001の世話のために研究所に残りましたが、001の姿は出ていません。睡眠中と思われます。
    3. 006の格言「前門の大ガニ、後門のカモメ、これ中国のことわざあるよ」

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    2012年6月 2日 (土)

    【追悼】別れの夜明け~尾崎紀世彦さん

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     僕を直接知る方で「“流行りもの”が苦手で、世間が静かになった頃に騒ぎ出す」という行動パターンに呆れている方もおいでと思いますが、歌手の尾崎紀世彦さんにはまったのは、その最初のパターンでした。

     '71年の大ヒット曲「また逢う日まで」には大して注目もせず、尾崎人気が峠を越えていた'74年に伝説のSF映画『エスパイ』で「愛こそすべて」が何故か印象に残り、そのまま世間のサイクルとは思いっきりずれた尾崎ファンになりました。

     『宇宙刑事シャリバン』へのゲスト出演や、『ウルトラセブン』主題歌のバックコーラスなど、特撮番組との関わりもある尾崎さんですが、自分の中では特撮趣味と尾崎ソングが重なることは不思議とあまりなく、「さよならをもう一度」「サマー・ラブ」等の正統派ラブソングや、「タワーリングインフェルノ愛のテーマ」「幼き友へ(ペーパータイガーのテーマ)」など映画主題歌の日本語カバーなどがマイヒットになっていました。『シャリバン』の挿入歌「星空の街を歩こう」(隠れた名曲です)も、特撮ソングとしてよりは、通常の尾崎節として聴いていました。
     きっかけは特撮映画からでしたが、朗々とした声量とじっくり聴かせる情感を併せ持った尾崎節は、映像趣味を越えた自分のソウルソングになって、様々な記憶とシンクロしています。

     以来30年以上ファンをやっていて、ディナーショーやライブで活動中の尾崎さんを「いつか生で聴きたい…」と思いつつなかなか腰が上がりませんでした。そして、この日を迎えてしまいました。大変後悔しています。

     ついに、レコードやCDを通してのみのファンで終わってしまいましたが、これからも残された数々の歌が、何かにつけて自分のテンションを上げてくれることと思います。

     日本を代表する実力派シンガー・尾崎紀世彦は不滅です!

     黙祷(__)

    (ほぼ同一の文章をmixiにもアップしました。ご了承ください)

     

    ※歌手・尾崎紀世彦さん。2012年5月31日、肝臓癌のため御逝去。

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    2012年1月15日 (日)

    『激マン!』第5巻

     今年初の更新になります。本年もマイペースで更新していきますので、よろしくお付き合いをお願いいたします。

     さて、今回は最近読んだ漫画から『激マン!』第5巻(日本文芸社)の感想です。

     本作は「漫画ゴラク」連載中で、永井豪の分身ともいうべき漫画家「ながい激」主人公にした自伝的セミフィクションです。 永井先生には御自身をパロディ化した「思い出のK君」や「氷壁の母」等の傑作短編がありましたし、永井ワールドそのものをパロディ化した上で、シリアスな大長編に仕上げた「バイオレンスジャック」もありました。本作はそうしたセルフパロディの集大成になりそうです。

     物語は『デビルマン』最終章の執筆時にさしかかりました。すでに前巻から、飛鳥了が作者の構想を越えて暴走し始め、作者をして「こいつは何者なんだ」と言わしめています。そして、作者も知らなかった飛鳥了の意外な正体(『デビルマン』連載時は本気で驚きました)が劇的に描かれています。

     永井先生自身が日本の将来への警告として『デビルマン』を描いていたというくだりは、現代から振り返った後付けがかなり入っていると思いますし、先生が飛鳥了の正体に思い当たるのが、「事件の展開に疑問を持った了が再び実家へ向かうシーン」を描いているときだったというのは「いくら何でも^^;」と思います。

     とは言え、先付けであれ後付けであれ『デビルマン』に託された永井先生の主張には共感できる部分が多々あります。また、了の正体に永井先生が頭を悩ませる展開は、連載当時の了の秘密が明らかになっていく過程を追体験させるもので、結末を知っていてもぞくぞくしました。

     そして何よりも、「雷沼教授の勘違いに煽られた世界各国の混乱」「デビルマン軍団の活躍」など、当時諸事情から割愛されたシーンが当時よりグレードアップした作画で読めるのは、嬉しいものです。(前巻での『デビルマンとデーモン軍団との東京決戦』も)
     こうしたベテラン作家が現在の技術で若い頃の作品をリテイクしつつメイキングを語るという展開は、和田慎二先生が『怪盗アマリリス』の劇中劇で、『超少女明日香』第1作のメイキングを語りつつをリテイクしたときと似た展開ですが、本作はその路線をさらに本格的に追求しています。

     最終戦争の舞台裏が描かれる次巻に期待です。

    追記:『デビルマン』ラストの構想で作者の相談役になっているスタッフの菊池氏は、ネット検索したところ後年永井作品のノベライズなどで活躍する団龍彦氏がモデルとのことです。しかし、『激マン』では彼のキャラクターが妙に浮いている印象を感じます。ひょっとしたら、永井先生お得意の、「実録と思って読んでいたら実は…」という展開につながる人物なのではないでしょうか?

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    2011年11月 9日 (水)

    最強探偵・大貫警部

    Ohnuki_2「四字熟語殺人事件ベスト・セレクション」赤川次郎/講談社文庫

     別名大貫警部シリーズとも呼ばれる四字熟語殺人事件シリーズのベストセレクションが出ました。
     不潔で自己中心主義で怠け者で大食漢の迷惑警部が、その八方破れな捜査で結果的に事件を解決してしまう30年長期シリーズの傑作選です。

     このシリーズの犯人(または犯人に道を誤らせた悪役)は、多くの場合強欲だったり権威を笠に着るタイプだったりでまったく好感が持てないケースがほとんどです。そんな悪人たちを、気分と食欲と私憤で行動する大貫警部が、「毒には毒を」式に粉砕してしまうカタルシスが、シリーズの肝です。

     シリーズ初期は、物語が大貫の部下・井上刑事の視点で語られて、大貫の迷惑ぶりが強調されていたのですが、シリーズ2冊目の「起承転結殺人事件」で、井上の恋人・向井直子が登場し、彼女が大貫の暴走を上手くコントロールすることで物語の雰囲気が安定し、以後30年近い長期シリーズとして継続中です。(なお、直子の登場以後、大貫によるストレスは上司の箱崎警視が引き受け続けています^^;)

     さて、ベストセレクションの本書は直子のデビュー作「起承転結殺人事件」、誰からも慕われる善良な男が殺される「人畜無害殺人事件」、アイドルタレントがドッキリ番組で大貫を引っかけたために殺人事件が発生する「公私混同殺人事件」、人前に姿を見せない謎の作家の仕事場で編集者が奇怪な死を遂げる「流行作家殺人事件」の4本です。

     いずれも大貫のパワフルさが痛快で、ミステリとしても楽しめます。長期シリーズゆえの懐かしさも感じられてお得な内容です。しかし、長年のファンから見ると収録作の選定基準がちょっと微妙でもあります。初期の傑作「東西南北殺人事件」「一触即発殺人事件」などは入れて欲しかったところです。

     解説に記されたシリーズ七つの謎(大貫のフルネーム、登場しない妻の存在、多くの部下がいるはずの中でいつもこき使われる井上刑事etc.)は、ファンには周知のこととは言え、まとめてみると興味深いものがあります。 まだ大貫警部になじみのない方は、入門編として本書をお薦めします。

     しかし、表紙の大貫警部、いつもの浅賀行雄氏の不気味でユーモラスな顔に比べて、格好良すぎです(^^;


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    2011年7月12日 (火)

    今更ながら『JIN-仁-』

    Kandagawa_3 原作漫画もドラマも共に大ブレークし、周囲からも「読んでみぃ」「見てみぃ」攻勢が多々あった『JIN-仁-』ですが、この春からようやくチェックし、ドラマにもしっかりと最終回まで付き合いました。

    「現代の脳外科医がタイムスリップで幕末に放り込まれる」というSFファン泣かせの発想の元、主人公とヒロインを主軸にしつつ歴史群像劇としての魅力も発揮した原作漫画。そして、手堅いキャストを揃えながら、そのネームバリューに頼ることなく、テレビドラマの基本に立ち返ったようなテレビ版。いずれも魅力的でしたが、その魅力はあちこちで語られているので、2点だけ書いておきます。

     

     

    Kaidan_2 まず、現代人がタイムスリップで過去の歴史に生きることになるというSF的発想が、非SFファンをターゲットとして取り込んでブレイクしたことに驚きました。
     現実的な設定の中にあり得ない“IF”を放り込んで、現実とはひと味違ったドラマを生み出すのはSFの基本です。また、「時を越える故に生じる恋の美しさと悲しさ」は、『チャリティからのメッセージ』(ウイリアム・M・リー 創元推理文庫『時の娘』収録)や『時尼に関する覚え書』(梶尾真治 ハヤカワ文庫JA『亜へ贈る真珠』収録)などでSFファンにはおなじみでした。しかし、以前はSFファンの寡占物だった「時空SFロマン」が、SFであることをほとんど意識されることなく社会的ヒット作となったことは、かつてSF界で語られていた“SFの浸透と拡散”の一つの到達を見るようで、感慨深いものがあります。

     思えば、何年か前から通常のドラマの中にSF的なセンス・オブ・ワンダーが取り込まれ、その一方で『ウルトラマン』や『仮面ライダー』が長寿番組の宿命で“驚き”を失っていくという逆転現象が気になっていました。そして、『JIN-仁-』の人気の核になった部分は、明らかにSFでなければ描けないセンス・オブ・ワンダーそのものでした。

     付け加えると、ドラマの中で描かれた料理やお菓子が、ドラマとのタイアップによってコンビニで売られているという光景は、少し前の時代から見ればSF的現象以外の何物でもありません。その意味でも、本作はまぎれもないSFドラマでした。

     

     

    Motomachi_3 さて、もう一点記しておきます。

     この作品は、原作もドラマも江戸時代を描き、江戸の人間になっていく主人公を描きながら、それをノスタルジアに終わらせず僕たちが生きる現代社会の素晴らしさもきっちりと描いていました。

     この物語は、確かに江戸時代の人々の素朴さや精神的豊かさを謳っていました。しかし、その一方で、主人公が持ち込んだ現代医学や人道的精神が人々を救う様を通して、現代が江戸時代から確実に進歩した時代であること、その進歩は多くの努力と犠牲の上に成り立っていたこともはっきりと主張し、過去の賛美に終わらないテーマを訴えかけていたのです。

     その主張は、原作での坂本龍馬が語った「百数十年後の世では、身分の差がなくて、誰でも努力次第でやりたいことができ、行きたいところへ行けるそんな国は極楽としか言いようがないぜよ」台詞に象徴されています。

     現代の日本社会は、様々な問題を抱えてはいますが、それでも歴史上の様々な時代と比べてみれば、もっとも恵まれた時代であることは論を待ちません。「個人の権利の尊重」「身分や性別による差別の激減」「凶悪犯罪の稀少化」等々は世界に誇って良いレベルです。上記の台詞を読んで、たまにはこの時代の良さを噛みしめ、それを築いた人々に思いを馳せ、次世代への責任について考えてみるのも悪くないと思いました。(まあ、四六時中天下国家について考えていても、疲れるだけですが)

     原作もドラマも終了しましたが、実はドラマ第1作をまだ見ていません。もうしばらく、この物語に新鮮な気分で付き合ってみたいと思います。

    ※写真は上から順に、「ドラマのタイトルにも使われた聖橋から見下ろす神田川」「物語の始まりとなった順天堂医院の非常階段」「最終回で仁が“手紙”を読んでいた元町公園の階段下」です。(2011年7月9日撮影)

    ※思いつくままに打ったので、文章がかなりおかしくなっていました。少し改稿しました。(2011年7月13日)

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    2011年6月21日 (火)

    宇宙戦艦ヤマトの「敗北」

    Yamatooazo 久々の更新になります。

     mixiの宇宙戦艦ヤマトコミュニティで「どうやってヤマトを撃沈しますか」(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63087207&comment_count=94&comm_id=21794)というトピックが立てられています。

     「あなたなら無敵の宇宙戦艦ヤマトをどうやって撃沈しますか」というのが主旨で、軽いジョークから劇中設定に基づいた戦術まで様々なコメントが書き込まれています。(矢的のアイデアは“真田技師長の暗殺”^^;)

     しかし、自分が少し引っかかったのは「ヤマトは無敵だっただろうか?」という点です。

     シリーズを振り返ってみると、ヤマトが奮戦むなしく敗れたり、本来は負けていたところを別の要因で救われていた例がかなりあったはずです。

     何を持って「負けた」とするかは議論の余地がありますが、ここでは以下のポイントに絞って、ヤマトが敗北したとみなされる戦いを並べてみます。

    1. 戦闘には敗れたが、ヤマト乗組員以外の人物(敵を含む)や幸運によって救われた。
    2. 戦闘には勝ったが、作戦目的を果たせなかった。
    3. 戦闘以外の要因で危機を脱しただけで、本来は負けていた。

     なお、戦闘・作戦名の後の( )内は、該当するシリーズ名です。

     まず1に該当するのは以下の戦いです。

    • 異次元空間でのドメル艦隊との遭遇(1)-スターシャの誘導が無ければサルガッソースペースからの脱出は不可能でした。
    • 七色星団の戦い(1)-これは断定はできませんが、ドメルの自爆はわざわざカウントダウンを行い、機関部での爆発を避けたことから、ドメル自身がヤマトへのとどめを避けた可能性が高いと思います。
    • ガミラス残存艦隊との決戦(2)-古代にデスラーを射殺する力が残っていなかった時点で完敗。デスラーが終戦を決めたことで救われています。
    • 超巨大戦艦との決戦(2)-都市帝国の中の切り札を見抜けなかったのはヤマトの限界です。テレサの犠牲がなければ、敗北か相打ちは確実でした。
    • ガルマンウルフ艦隊との戦い(III)-ヤマトが移動要塞内に捕らえられたところでゲームオーバー。ヤマトとの戦闘を承知していなかったデスラーの好意で救われています。
    • ルガール・ド・ザールとの初戦(完結編)-ハイパー放射ミサイルの奇襲で乗員全員がダウン。偶然に自動操縦装置が働いて脱出できたのは奇跡です。

     次に2に該当するのは以下の戦いです。

    • デスタール艦隊との戦い(2)-捕虜にした戦闘機パイロット・メーザーを懐柔し、敵の情報を引き出す作戦でしたが、結局本人を自決へと追い込んで失敗しました。メーザーの母国への忠誠心を過小評価したのは、明らかに古代のミスです。
    • 自動惑星ゴルバとの決戦(新たなる旅立ち)-これは1にも該当しますが、ヤマトの戦力ではゴルバに歯が立たず、スターシャの自爆が事態を決しました。作戦目的はスターシャの救出でしたから、完敗です。
    • 移住惑星の探索(III)-これも1との重複になりますが、ヤマトは最後まで可従惑星を発見できず、星間戦争に本格的に巻き込まれるきっかけも作ってしまいました。シャルバート星からの援助がなければ、人類は滅亡しています。
    • 都市衛星ウルクでの戦い(完結編)-島をはじめ多くの乗組員を犠牲にしながら、水惑星アクエリアスのワープ阻止はできませんでした。これも完敗です。

     そして、3に当てはまるのは次の戦いです。

    • バラン星の戦い(1)-人工太陽をヤマトにぶつけるドメルの作戦は完全に成功していましたが、デスラーからの中止命令でタイミングが狂い失敗しました。
    • 竹輪型空洞惑星の罠(2)-今度はデスラーが完全にヤマトを捕らえた段階で、彗星帝国から中止指令が出てタイミングが狂い失敗しました。
    • ディンギル残存艦隊との決戦(完結編)-地球を水没から救うため自爆用のトリチウムを満載した状態で、敵残存艦隊に包囲されました。デスラーの来援で難を逃れましたが、自力での脱出は不可能な状態でした。

     

     以上、こうして見るとヤマトは連戦連勝の不沈艦ではなく、フィクションの宿命として「主役故の強運」に守られた存在だったと言えます。しかし、その事実はヤマトのヒーロー性を否定するものではありません。

     それぞれの幸運を最大限に生かして危機を脱したのは実力のうちとも言えます。

     そして何よりも、歴代の女神たちの加護を集め、デスラーですら^^;味方に引き込んだ、ヤマトクルーの誠意と正義感(あえて“愛”とは言いません)こそが最強の武器であったと思います。

     無敵の戦艦ではなく、負けることがあっても最後まであきらめず、美女や仇敵から愛されることによって、幸運を引き寄せる。そんな宇宙戦艦ヤマトのような生き方は、現実の人生においても一つの理想と思います。

    *本稿は、ほとんど記憶に頼って書いております。訂正、突っ込みは歓迎します。

    *写真は、2009年に丸善・丸の内OAZO店で開催された「宇宙戦艦ヤマト完全復活展」に合わせて、同ビルのロビーに展示された5mサイズのヤマトです。(プライバシー保護のため、映り込んだ方々の顔を伏せさせていただきました)

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    2010年7月 3日 (土)

    名曲「ポプラ通りの家」の真実!

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     御存知の方も多いと思いますが、古典SF『キャプテン・フューチャー』シリーズは、原作終了から30年近く経った1978年秋にNHKでアニメ化され、一年間放映されました。
     原作ファンの間では賛否両論ありますが、舞台を銀河系規模にしたことと、一部のキャラクター設定以外は大きな変更はなく、大傑作とまでは行かないものの良心的な佳作だったと思います。また、「あのフューチャーメンが動いてしゃべっている」というだけでも、僕としては歓迎できる作品でした。
     数年前にDVD化の告知があったものの、理由がはっきりしないまま発売中止になり、現在のところ正規の視聴が難しい作品になっていますが、一日も早く日の目を見てほしいものです。

     このアニメ版については不満を持たれる原作ファンも多いようです。しかし、本作の主題歌「夢の船乗り」、副主題歌「ポプラ通りの家」、そして原作中の楽曲を実現させた「おいらは淋しいスペースマン」等は好評のようで、SFファンの宴席ではカラオケの普及前から何度も耳にしました。

     さて、本題です。「ポプラ通りの家」は、“故郷を遠く離れた男が、ポプラ通りの家に住む恋人と過ごした故郷での日々に思いをはせる”という内容なのですが、『キャプテンフューチャー』の物語とはあまりリンクしていません。主人公のカーティスは、人のいない月を故郷として育った特異な過去を持つ男で「故郷への追憶」など持ちようもありません。グラッグとオットーは、人造人間で故郷は月の研究所です。その他のレギュラー陣を見ても、「故郷に恋人を残した青年」は見あたりません。というわけで、この曲は「宇宙を股にかけるスペースマンたちが持つ郷愁を象徴した歌」と解釈するしかないようです。

     しかし、以前あるSFマニアの酒席で、「この歌は誰の歌か?」ということが話題になり、一人だけ対象として検討されていない人物が浮上しました。

    「サイモン・ライト…」

    「え?」

    「サイモン教授って、脳だけになって地球を離れてから二十余年だろ。恋人はおばさんになっているかも知れないけど、ポプラ通りの家にはまだ住んでいるかもよ」

    「しかし、サイモン教授って、脳だけになったときに七十歳過ぎだろ」

    「いやいや、まだまだ男としては現役だったかも」

    「しかし、あの人に若い恋人を作れたかね」

    「そこは“教授”だぞ。教え子に手を出したのかも」

    「70歳の教授と、15歳の優秀な女子学生との恋か!」

    「ん、それなら彼女はまだ40前だから、かろうじて“優しい目の娘”にはなり得る」

    「70歳の爺さんが15歳の少女と、月の下をもつれ合って歩いて、明日の夢を語り合って、口づけを交わしたのか!」

    「やるねえ!爺ちゃん!」

    「さすがは宇宙一の天才科学者」

    「ほんと、俺、尊敬しちゃう」

    「俺たちも頑張らないとな」

     

    ※念のため申し上げますが、サイモン教授の恋については、原作版でもアニメ版でもまったく語られておりません。最近、ブログに書いた与太話とそっくりの話を某コンビニ本で見かけたり、個人的見解のつもりで書いた話がWikipediaに書き込まれたりしているので、特にお断りしておきます(苦笑)

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