はじめに

Vtol_4  本ブログは、矢的八十郎が同人誌RETURNやパソコン通信時代のウルトラマンフォーラム等で書き散らしたウルトラシリーズについての蘊蓄話や意見・感想などをまとめたものです。

 これらの情報は1999年以来ホームページのコンテンツとしてまとめてきましたが、最近は更新も滞っており、ネットの主流がブログに移行する中で何とかリニューアルをと考えていました。
 そこでこのたび、より分類やコメント受付の簡単なブログにまとめ直すことにしました。

 このようなウルトラシリーズについての重箱の隅的な情報は、以前はファンの間で共有されていましたが、ファン層やウルトラシリーズそのものの飛躍的な拡大によって、情報の共有が難しくなっております。
 本ブログが、ウルトラファンの皆さんが情報を共有する上での、ささやかなガイド役になれれば嬉しく思います。

 なお、本ブログはあくまでもウルトラシリーズ情報のまとめブログにとどめて、作品の感想交換や最新情報等については、掲示板「電脳スタビライザーPADOC」や矢的のmixi日記で語り合えればと思います。また、その他の雑感や日常のことについても、従来通り「Y8ステーション」を活用していきます。

 今後ともよろしくお願いします。

 本ブログをご利用される方に必ずお目通しいただきたいことについては、以下に追記していきますので、ご一読をお願いいたします。
 

  • コメント、ご感想、情報の訂正等は歓迎しておりますので、当ブログへのコメントの形でお願いいたします。 ただし、スパム、無関係な宣伝、誹謗中傷等、一般的なネットマナーに反すると管理人が判断したコメントは予告なしで削除します。ネットマナーについての矢的の考えは、掲示板入り口のページに記してありますので、迷われたときはこちらもご参考になさってください。(2009/01/07)

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2009年9月23日 (水)

『Q』の色は?

Mf4_2  皆さんご存知の通り『ウルトラQ』は白黒作品です。
 そのため、'70年代末の第3次ウルトラブームの際にも、ウルトラシリーズの原点として高い評価を受けながら、完全にカラー化されたテレビ界の中では再放送の機会にはめぐまれず「幻の作品」という扱いを受けていました。
 '79年のフジテレビ系での早朝再放送など、貴重な機会はありましたが、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に比べると、かなりレア度の高い作品になっていたことは間違いありません。
 
 現在は、DVDが廉価で発売され、CSや動画配信など視聴できる機会は格段に増えていますが、カラーで制作された作品に比べると現役コンテンツとしての立場がやや弱いのは否定できないでしょう。
 しかしながら、白黒映像ゆえの暗く渋い雰囲気は、『ウルトラQ』の神秘性や恐怖感を高めています。白黒作品であることが『Q』の営業上の弱点ではあっても、内容的な弱点ではないことは、大多数のファンが認めるところと思います。
 
 さて、『Q』の世界がどのような「色」で撮影されていたのかは気になるところですが、カラースチールについては、イベント等での怪獣の写真以外撮影されていないようです。本編のカラースチールにいたっては、存在しないのか全く公開されていません。
 イベント等の写真で色が判っているのは、ガラモン、M1号、ペギラ、ピーター、ゴルゴスぐらいです。また、ラゴンとケムール人は『ウルトラマン』で再登場していますが、いずれも頭部のみの流用でボディは新調されているため、手がかりとしては弱いようです。
「バルンガは合成の都合上赤かった」「ケムール人の体色はブルーだった」等、当時のスタッフの証言もあります。
 1999年に新宿のロフトプラスワンで行われたトークショーで、戸川一平役の西條康彦さんに質問したところでは、星川航空のジャンパーとキャップはグレーで、キャップの真ん中のラインだけが紺色だったとのことです。その配色は、後日、フィギュアやキャップなどの商品化にあたって踏襲されています。
 
 以上、『ウルトラQ』の色については細かい手がかりは多々ありますが、そうした配色が実際の白黒映像とイメージが一致するとは限りません。視聴者一人一人が自分のイメージに合わせて色を思い浮かべるのも白黒作品の魅力であり、「正解」を示されても全てのファンが納得できるというものではないでしょう。
 
 矢的自身も、ゴメスの体色は書籍類のイラストから「金色、または茶系統」というイメージを強く持っていたので、後年「ゴメスはゴジラを改造したものなので、当然体色はダークグリーン」という正解を知ってからも、脳内のイメージは修正できません。
 
 現在、『Q』のカラーライズ作業が進行中とのことですが、たとえ現存の手がかりや関係者の証言を徹底チェックして「正しい色」を示しても、長年白黒映像に親しみ脳内に「自分の色」を作ってきたファンを100%満足させることは不可能でしょう。一度完結したドラマの謎に後年の制作側が無粋な正解を示したり、長年親しんだテーマ曲に突然歌詞が加えられたときのような違和感は、確実に襲ってきます。
 
 しかしながら、カラー化によって『ウルトラQ』の現役コンテンツとしての立場を強化し、新たなファン層を開拓できる可能性は充分にあると思います。
 今まで、白黒作品のカラー化がファンに幅広く受け入れられた例はありませんでしたが、『Q』がその第1号になり、「懐かしの」という冠詞を外して次世代の子どもたちへ受け継げるのなら、それはそれで嬉しいことです。
 
 我々オールドファンには、それぞれの脳内の色を大切にしつつ、新たに示された色を受け入れる度量が必要とされるのかも知れません。

 

*2000年10月9日に、ホームページにUPした文章を大幅に加筆。

*本文初出時に、カラー写真が現存している怪獣について、ゴルゴスが抜けていましたが、その後読者の方からメールでご指摘をいただき、この機会に加筆しました。そのメールは紛失してしまい、差出人の方も分からなくなってしまいましたが、ここで御礼とフォローが遅れたお詫びを申し上げます。

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2009年7月29日 (水)

『ウルトラマンコスモス』の世界は?

Cosmos_3 ウルトラシリーズは、個々の作品の世界観が基本的に別々でありながら、再登場怪獣やウルトラ兄弟の設定で緩やかにつながっています。過去の作品の設定を総括した『ウルトラマンメビウス』ですら、「多々存在するパラレルワールドの一つであり、唯一無二の歴史ではない」というのが公式見解になっています。(平たく言えば、『メビウス』の世界に続く『帰マン』も、「ウルトラ5つの誓い」で完結した『帰マン』も、『A』へと続いて『レオ』あたりでフェードアウトした『帰マン』も、それぞれ“あり”ということのようです)
 さて、こうしたウルトラシリーズ内の作品世界のつながりは、「ウルトラ兄弟」の設定が使われなくなった'80年代後半から個々の作品の独立性が強くなってきました。しかし、20世紀末から商品展開やイベント等で歴代ウルトラマンの存在が再び強調されるようになってきています。(*1)
 その流れの中で、『ウルトラマンコスモス』の劇場用第1作『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』(*2)では、宿敵・バルタン星人が復活しました。しかし、その一方で人々が“ウルトラマン”を知っていながらも歴代ウルトラマンが登場することはなく、TVシリーズにはリドリアス、ガモラン、ギギ、クレバーゴンと、明らかに旧作怪獣を意識したキャラクターが登場するなど、旧作との連携が非常に微妙な形で表現されていました。
『THE FIRST CONTACT』は完成度の高い映画でしたが、世界観の曖昧さがネックになってストーリーに集中できなかった記憶があります。

 そこで、『コスモス』の世界でウルトラマンという存在がどう認知されているかを、劇中の描写からまとめてみました。

 A 人々はウルトラマンという存在を知っている。

 B ウルトラマンを信じるのは子供っぽいことという概念がある。

 C 信じる信じないはさておきとして、SRCも防衛隊も、ウルトラマンの存在を可能性に入れて行動している。

 上記の条件をまとめると、『コスモス』の世界は、「ウルトラマンという存在がたびたび目撃はされていたが、公認はされていない世界」ということになります。

 ウルトラマンの存在が曖昧であっても、SRCや防衛隊は怪獣や宇宙人の存在を考慮に入れていますから、そうした敵が人類を襲ったことはあったと思われます。だとしたら、ウルトラ戦士が地球とその周辺で行動し、地球人に名乗らないまでも地球人に目撃されていた可能性は充分にあります。

 …つまり、この世界でのウルトラマンは、僕たちの世界における「空飛ぶ円盤」「エイリアンクラフト」「UFO(*3)」に当たるわけです(^_^;

 ここからは妄想ですが、劇中で木本博士が「間違いないね!ウルトラマンは1940年代から世界中で目撃されていた」と語ったり、劇中の報道番組で特別ゲストの矢追純一氏が「これが1966年にアメリカのノースダコタ州で目撃されていたウルトラマンです」と言いながら怪しげなウルトラマンのイラスト(*4)を示したりしていれば、なかなか面白い演出になったと思います。

*2001年8月2日に@niftyウルトラマンフォーラムに投稿した文章を大幅に加筆しました。

*1 '80年代においては、第2期ウルトラシリーズへの反省からウルトラ兄弟設定の多用が避けられたようです。また、'90年代後半からは、外国企業との版権に関するトラブルに決着がつくまでの間、過去キャラクターの使用が制限されたとの報道もあります。

*2 この映画は、'90年代に一度制作中止になった「ウルトラマン/バルタン星人大逆襲」を仕切り直したストーリーです。

*3 「UFO」という言葉は正体を確認できない飛行物体(見間違いや隕石、国籍不明機などを含む)の総称ですから、本当は空飛ぶ円盤やエイリアンクラフトとは意味が違うのですが、定着してしまった通称ですので使用しました。

*4 ここで使われるイラストが「ベムラー」「レッドマン」などウルトラマンの没デザイン画だったりすると笑えます(^_^;

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2009年7月24日 (金)

「11月の傑作群」への疑問と感謝と

Ngman 『帰ってきたウルトラマン』を語るときにしばしば語られるのが「11月の傑作群」というコピーです。 具体的には31話から34話まで、文献によっては35話も含まれることがあります。

 しかし、僕自身はこのコピーに疑問を持っています。
 そもそも、この「11月の~」という言葉は、特撮ファンダムの黎明期の同人誌で「例外的な傑作」として紹介された作品がたまたま11月放映分の作品だったところから出た言葉でした。
 そして、この作品群が'78年頃のウルトラブームの中で「帰マンの中の第1期に匹敵する名作」として商業誌に紹介されたことによって定説となったものです。したがって、「11月の~」の由来は『帰マン』シリーズ全体に対して好意的な意味とばかりは言えなかったわけです。現在では肯定的な意味合いに変化しているとはいえ、僕個人としては、このフレーズを全肯定することにためらいがあります。

 11月放映分のエピソードが秀作・力作揃いだったことには僕も異論はありません。しかし、そもそも『帰マン』全体が秀作の比率が高いシリーズであり、その長いシリーズのピークを11月と言う狭い時期だけに求めるのは疑問を禁じ得ません。
「11月~」は傑作や力作、異色作が集中した時期でありますが、この「異色作」というのが一つのポイントで、初期の「正統派怪獣ドラマ+青春ドラマ」という路線や、シリーズ後半の陽性な侵略ものなど『帰ってきたウルトラマン』という作品のメインストリームからはやや外れています。
 例えば、何かにつけて引用される「怪獣使いと少年」は、映像的にもストーリー的にもものすごいエネルギーが感じられるウルトラシリーズ屈指の力作であり、異色作ではありますが、「代表作」「最高傑作」と言われてしまうと違和感を感じてしまうのです。
 むしろ「11月の~」というフレーズは、ファンの間で「11月以外の傑作」の存在から目をそらすような効果を生んでしまい、『帰マン』全体の評価の足を引っ張ってしまった時期があったと思うのです。(もちろんこれは、このフレーズを作り出した人の責任とするのはお門違いです)

 また、放映リストを見た限りでも、「5月の傑作群」「9月の傑作群」というフレーズが十分成立していると思います。

 ただ、ここまで書くと誤解されやすいのですが、今の自分は「11月~」というフレーズを全面否定しているわけではありません。(粋がって否定しまくっていた時期もありますが^^; )
 この時期の作品はシリーズを象徴する「帰マン」らしい作品という点では疑問がありますが、スタッフの皆さんの力量が視聴率の安定等の追い風に乗って開花した一種の「傑作群」であることは確かです。また、特撮ファンダムの黎明期で、『帰マン』に対する評価がまだまだ未開拓だった時期に、「11月~」というわかりやすいキャッチコピーが、ファンの注目を集める大きなきっかけになっていたことも否定できません。『帰マン』を愛する立場からは、むしろこのフレーズに感謝すべきと思っています。

 現在、『帰ってきたウルトラマン』という作品は、多くの特撮ヒーローファンから、『ウルトラマン』の亜流としてではなく、独立した傑作特撮ドラマとして評価されるようになってきています。
 今大切なことは、「11月の傑作群」というフレーズをウルトラシリーズ評論史の一コマとして肯定した上で、ファンがそれぞれの言葉で『帰マン』を語り、その中から「11月の傑作群」とは別方向の“帰ってきたウルトラマン論”を生み出すことではないかと思います。

『帰ってきたウルトラマン』を観るときには、ちょっとだけ自問してみてください。「『帰マン』全51話の中で、本当に11月放映分の作品だけが「傑作」として突出しているのか?」と。

*@niftyウルトラマンフォーラムや各種掲示板で発言したコメントの主旨をまとめて書き下ろし。

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2009年7月23日 (木)

「人間標本5・6」の謎

Dada3  宇宙線研究所という閉鎖空間内でムラマツが三面怪人ダダに追われる「人間標本5・6」は、ホラー性とSF性がほどよくミックスされた印象的なエピソードです。

 しかし、このダダは『ウルトラマン』に登場する宇宙人たちの中でも特に謎めいたキャラクターで、そのためか本エピソードには未解決になっているポイントがいくつかあります。その中でも、特に目立つのが「ムラマツが事件に巻き込まれるきっかけになったバスの転落事故は何だったのか」ということです。

 結論から先に書くと、問題の事故はダダが起こしたものと思われます。

根拠1 事故の原因

 この事故は、バスのフロントガラスに突然紫色のスクリーンのようなものがかかり、運転手の視界がさえぎられたため起きたものでした。この現象はダダの超能力以外説明はつかないでしょう。

根拠2 取り残された二人

 ムラマツと秋川技官の二人が救助されていないことがあげられます。事故現場の処理がおこなわれ、他の乗客がすべて救出された中で二人だけが事故現場に取り残され、しかも負傷していないのは不自然です。これもダダの介入があったと考えるべきでしょう。 

根拠3 警官の不思議な言動

 事故現場でムラマツが出会った警官の不自然な言動があります。行方不明だったムラマツを見つけながら妙に冷静で何の報告もしようとせず、いかにも感情がなさそうな態度も不自然です。ダダの変身かあるいは憑依されていると見るべきでしょう。(意図的なものかどうか分かりませんが“不審な制服の人物”というイメージは、同じ野長瀬三摩地監督作品である『ウルトラセブン』2話の郵便配達人にも受け継がれています)

 以上の根拠から、バス事故は5人目と6人目の人間標本の素材を物色していたダダが、ムラマツと秋川という良質の素材を発見し、二人だけを宇宙線研究所におびき寄せるために仕組んだものと考えられます。

 …と、断定したいのですが、上記の推理は僕の完全なオリジナルではなく、僕が以前同人誌「侵略寓話」で読んだある方の推理に僕なりの解釈を加えたもので、皆さんに押し付けるつもりもありません。実際のところ、ダダは秋川に会ってから標本として適当かどうかを分析していますから、事前に狙われていたという仮説には無理もあります。

 より判りやすい推理がありましたら、ぜひともご教示をお願いします。

 この他にもダダの存在を知らないはずの秋川が「SOS DADA」のメッセージだけで危機を知ったり、ダダが二人を追い詰めたところで何の脈絡もなくミクロ化器が故障したりと、やたら不自然な展開の多い話ですが、その不自然さがダダの謎めいた雰囲気にマッチして独特の味になっていることも確かです。

最後に、このエピソードについてチェックポイントをもう2点記しておきます。

人間標本の行方

 人間標本にされた4人の人間やダダに憑依された所員の行方は不明のままです。これは、「科特隊宇宙へ」でバルタン星人に憑依された毛利博士や、「禁じられた言葉」で宇宙に放り出されたパイロットたちも同様で、『ウルトラマン』の世界では宇宙人に拉致された人間は忘れ去られる傾向があるようです。

 これについては、彼らの命は宇宙人の手にかかった時点で終わっていて、陰惨なムードを避けるために彼らの運命については意図的に無視されているというのが自然な解釈と思います。しかし、それではあまりにも救いがないので、できれば「ダダの残したミクロ化装置の構造がイデと岩本博士によって解明され全員救出、憑依された所員もウルトラマンに救助された」と個人的には思いたいです。  

姿を残さなかったダダ

 ダダは宇宙線研究所の周辺だけで行動し、その姿を目撃したのは行方不明の所員たちを除けばムラマツと秋川技官だけでした(強いて加えるならウルトラマンの中のハヤタ)。そのため、ダダの姿形については映像データ等は全く残されず、ムラマツと秋川の証言のみが全てと言うことになります。

 おそらく、科特隊が残したとされるドキュメントSSSPの中でも、ダダについては資料が著しく不足して、「ダダ捏造説」などもささやかれたのではないでしょうか?

追伸

 このエピソードを最初に見たとき、僕にはダダが三つの顔を使い分けていると言うことがよく分かりませんでした。白黒テレビに幼児のパターン認識能力では、あの三変化を認識するのはちょっときつかったと思います。

*2000年6月7日 @niftyウルトラマンフォーラムで初出の文章を元に改稿・加筆。

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2009年6月28日 (日)

ハヤタの生死は?

Ultramanhensin_3 『ウルトラマン』の物語は、ウルトラマンの宇宙船である赤い玉がハヤタの乗るビートルと衝突するというショッキングな出会いから始まりました。そして、ウルトラマンは死線をさまようハヤタと対話し、ハヤタと一心同体になって地球の平和のために働くことを誓ったのが、この物語の始まりでした。

 その後、劇中でハヤタは沈着冷静なヒーローとして描かれ、その内心を語ることはほとんどありません。そして、最終回ではウルトラマンと分離して生還したハヤタは、ウルトラマンと出会ってからの記憶を全て失っていました。

 ここで、時々マニアの間で話題になるのは、「ウルトラマンと合体していた間のハヤタの自我」についてです。ウルトラマンとなってからもハヤタはハヤタのままなのか、それともハヤタの心は竜ヶ森上空で死んでいて、ウルトラマンがハヤタの身体のみを借りていたのかについては劇中に明確な答えはありません。

「地上破壊工作」では、地底人によってハヤタの意識が奪われながらも、ウルトラマンの意思までは支配されていなかったというくだりがあり、二人の意識が別物であることが示唆されています。しかし、「怪獣墓場」で、倒してきた怪獣たちへの贖罪の気持ちを見せるハヤタの姿は、ウルトラマンの意思を思わせます。

 元祖としての試行錯誤もあったのかも知れませんが、明らかに人間としての意思で行動していた郷秀樹や北斗星司、ウルトラマンと対話しながら二人三脚で戦っていたヒカリ超一郎やジャック・シンドーたちと比べると、ハヤタの性格設定はかなり異色です。

 メインライターの金城哲夫氏には、ハヤタを死人として描いた意図はなく、放映終了後に執筆されたノベライズではハヤタの意思も明確に描かれています。しかし、当時のスタッフにはこの問題について明確な合意はなかったとの証言もあり、どう解釈するかはファン一人一人に委ねられているのが現状です。

  この問題について、僕の答えは「ハヤタの意思は生きていた」です。

 第一の理由は、放映当時に第一話の会話をソノシートで何度も聴き返して、「ウルトラマンがハヤタに謝罪してベーターカプセルを渡していた」という事実がずっと印象に残っていたことが大きな理由です。

 そして、より大きな理由は最終回で語られたウルトラマンの地球滞在の理由です。ウルトラマンは光の国への帰還を勧めるゾフィに対して、ハヤタを死なせないために地球へ残ると言い張り、ハヤタに命を譲りたいとまで言い切ります。ハヤタがすでに死んでいて、その身体と記憶だけがウルトラマンの意思で使用されているとしたら、ウルトラマンがハヤタの命を気遣うのは不自然なのではないでしょうか?ここはやはり、ハヤタの意思も生きていて、ウルトラマンとの間に種族を越えた絆が出来ていたと考えた方が、最終回でのゾフィとウルトラマンとの会話がより自然に受け取れると思うのです。

 企画書段階での『レッドマン』では、サコミズ(ハヤタの前身)はレッドマンとの衝突で死んでいて、サコミズ=レッドマンは恋人のひかるにそのことを告げられず悩みつつも、当面はサコミズになりきっているという設定がありましたが、実際に作られた『ウルトラマン』では「ウルトラマンがハヤタを演じている」という描写はなく、印象的にもハヤタが「宇宙人の入れ物」とは感じられません。

 また、去っていくウルトラマンを見上げるハヤタの表情は、本当に記憶を失ったというよりは、記憶を失いながらもどこかにウルトラマンとの絆が残っているという感情が感じられます。(シナリオ段階では「ウルトラマン?何だい、それ?」と口走って、他の科特隊員のひんしゅくを買うという部分があるのですが、これはカットされて正解です)

  いずれにしても、ハヤタとウルトラマンの意思関係は映像でははっきりと描かれていないので、上記のような細かい印象を重ねてファン一人一人が答えを出すしかないと思うのですが、僕の答えについては十数年前に同人誌に書いた文を引用したいと思います。

「ブラウン管の向う側のことですから、本当の事はわかりません。 しかし、ウルトラマンと地球という惑星を結びつけるきっかけとなった男はゾンビなどではなく、悩み苦しむ心を強い意思で包んでいつも不敵に微笑む、そしてその“弱さ”と“強さ”のバランスはウルトラマンが対等のパートナーとして認める程の物である…そんな“人間”であって欲しい、そう思うのです。」

1999年8月25日に@niftyウルトラマンフォーラム・シリーズ会議室に投稿した文章を大幅に改稿。

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2009年6月25日 (木)

ウルトラ戦士の法的責任

P1010028「ウルトラマンがハヤタを死なせた責任」 「地球の市民ではないモロボシダンや矢的猛が、日本に住み着き地球防衛軍への入隊までしている状況」 「ウルトラ戦士の戦いによる都市の被害」等々ウルトラ戦士が地球の法律を犯しているという劇中事実は、しばしばファンの酒席話やマニア向けの書籍などで話題になります。

 確かに、殺人、業務上過失致死、経歴詐称、器物損壊、建造物破壊、銃刀法違反、航空法違反、密入国、横領、機密漏洩と、ウルトラ戦士の行動が地球の法律に反している例は数え上げたらきりがありません。

  これについて、法律学の立場から考察してみるのも面白いのですが、劇中の状況に照らし合わせて考えた場合、人類側の立場は以下のようなものが考えられます。

  1. そもそも、多くの場合地球人ではないウルトラ戦士に人間を対象とした法律の適用は不可能。
  2. ウルトラ戦士の違法を黙認した方が公共の利益にかなうための緊急避難。
  3. 仮に違法行為を追求するにしても逮捕・拘禁はまず不可能。
  4. ウルトラ戦士は人間ではないので動物や自然現象に準じて扱われる。

  特に2の事情は無視できないでしょう。怪獣災害や宇宙人の侵略など、ウルトラ戦士の法律違反よりもはるかにデメリットの大きい事態が続発している中で、地球人に無償で味方してくれているウルトラマンを断罪するのは自殺行為でしかありません。

 元祖スーパーヒーローであるスーパーマンは国連全加盟国の市民権を与えられているという設定があり、劇中で領空侵犯や密入国の罪に問われることはありません。(国連未加盟国も諸事情を考えるとスーパーマンの行動を黙認するしかないでしょう(^_^; )

 その前例にならうと、ウルトラ戦士が次々に派遣された第2期シリーズあたりの世界では、ウルトラマンの行動を支援する特別立法ぐらいはあっても不思議ではありません。

 まあ、スーパーヒーローの行動をいちいち法的に追求していったら、ヒーロー番組など見られなくなってしまいますが(^_^;ソレヲイッチャオシマイ

(写真は、某M78星雲人によって不法に持ち去られてしまった地球防衛軍の通信装置)

@niftyウルトラマンフォーラムのウルトラシリーズ会議室へ1999年7月8日に投稿した文章を改稿しました。

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2009年3月 8日 (日)

ウルトラマンレオ エピソード0

Sevenl_3 Pc080166_2  ウルトラマンタロウが任務を終えて旅立ち、ウルトラマンレオが登場する前に、ウルトラセブンがMAC隊長として地球を守っていた時期がありました。しかし、その頃のエピソードはまったく公開されていません。

 仮に番外編として制作するにしても、キャストの都合で映像化は不可能でしょう。しかし、小説化のような形で描いて欲しいと思います。
 地球に帰還したモロボシダンがMAC隊長になるまでや、旧ウルトラ警備隊との関わり、本編中で影の薄かった第1期MAC隊員の活躍など、材料はそろっているように思えます。
 以下のようなお話はどうでしょうか?45分全6話を想定しています。

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第1話 帰ってきたウルトラセブン

 侵略星人たちの大攻勢に宇宙は混乱を極め、新たに地球を守るべきウルトラ戦士の人選は難航していた。
 地球に新たな敵、マグマ星人の魔手が迫ったことを知ったウルトラセブンはゾフィの黙認の元に地球へ飛ぶが、川上隊長率いるMACは苦戦を強いられていた。
 火山の噴火を自由に操る宇宙怪獣シルバーギラスの猛攻に、セブンもまた苦戦を強いられる。

第2話 モロボシダン隊長誕生

 川上隊長の犠牲によってセブンはかろうじて危機を脱した。
 川上の死に責任を感じたセブン=ダンは、彼に報いるためキリヤマ参謀と再会しMAC入隊を志願する。
 キリヤマは一隊員としてというダンの意向を拒み、ダンを隊長に抜擢した。
 川上に心酔していた副長・青島を中心に、ダンへの反発ムードがMACに広がるが、ダンの見事な指揮ぶりに隊員たちは態度を改めた。
 そしてMACとセブンの共同作戦にシルバーギラスはついに力尽きた。

第3話 まぼろしの昨日…そして、明日

 ゾフィからのウルトラサインで正式に地球への着任を命じられたダンは、キリヤマ参謀にアンヌの行方をたずねるが、キリヤマは言葉少なにアンヌが消息不明であることを語ると、国際本部へ戻って行った。
 記録を調べたダンは、その後のアンヌがダンのいない空虚な日々を埋めるべく危険な任務を重ねていたことや、その後ある事件の中で姿を消したことを知る。
 任務の合間にアンヌの手がかりを求めて街を彷徨うダンは、突如深夜の街に現れたアンヌの姿を追って異次元空間に迷い込んでしまう。
 アンヌの幻影を武器にダンを翻弄していたのは、セブンへの復讐をもくろむイカルス星人の残党だった。ダンの失踪を知って国際本部から駆けつけた情報部長ソガは、MACを指揮してダンの行方を捜索し、些細な異変からダンが異次元に拉致されたことを知る。そして、国際本部の研究室長アマギが開発した異次元トレーサーでダンに脱出のための座標を示すことに成功した。
 思い出を利用され怒りに燃えるダンは、セブンに変身すると通常空間へ脱出しイカルス星人と因縁の一戦を開始する。

第4話 ウルトラ兄弟 月面基地の死闘!(前編)

 マグマ星人は、重力をコントロールする能力を持つ怪獣ゴールドギラスで月面基地を襲い、出撃したMACの留守を突いて、暴風を巻き起こすブルーギラスで東京を攻撃した。
 月面での戦闘の指揮を青島に委ねてMAC本部に残っていたダンは、出撃して東京を守ろうとするが、戦力を二分されたMACは月と地球の両面で苦戦を強いられる。
 ダンはセブンに変身するが、ブルーギラスの暴風攻撃はアイスラッガーさえ無力化する。ウルトラバリアでブルーギラスを異次元に封印したセブンは力尽きて変身を解く。そのダンを助けたのは、さすらいの旅を続けていたはずの東光太郎だった。

第5話 ウルトラ兄弟 月面基地の死闘!(後編)

 月面での攻防が一進一退を続ける中、ブルーギラスの封印が解ける時間も迫っていたが、封印の制限時間はダンのみが知る事実であった。
 何も知らないMACは高倉司令官の命令で月への増援を決定し、ダンにも出撃命令が下る。
 光太郎がタロウに変身すれば月と地球での両面作戦は可能だったが、人間として暮らしたい光太郎の葛藤を知るダンはそれを口に出すことが出来なかった。しかし、光太郎は全ての事情を察していた。天空にウルトラの母の姿が輝き、光太郎の手にウルトラのバッジが戻る。
 一足先に月へ飛んだタロウはゴールドギラスを引き受ける。そして、地球からの増援部隊に一時待機が命じられたところにブルーギラスが出現した。
 セブンはブルーギラスが起こす竜巻の中心を突いて、きりもみキックとアイスラッガーの連続攻撃でこれを倒した。そして、セブンは月へテレポートする。ウルトラ兄弟対ゴールドギラスの月面決戦が開始された。
 

第6話 ウルトラセブンよいつまでも

 戦いを終えたタロウ=光太郎は再びバッジを封印すると、再会を約束していずこともなく旅立っていった。
 地球に来てからの連戦に加えて隊長としての激務はセブン=ダンに深い疲労を与えていた。その激務のさなかに若い新入隊員・緑川から、子供のころからのウルトラセブンとウルトラ警備隊へのあこがれを聞かされたダンは深い感慨にふける。
 同じ頃、日本近海で島の沈没事件が続出し、MACは全水中戦力をもって調査を開始する。
 一方、市井のスポーツクラブ指導員・おおとりゲンも、この事件に思うことがあり小さなクルーザーで伊豆七島を調べていた。
 謎の敵にMACシャークが撃沈され、緑川も若い命を散らせた。
 一時、無力感に襲われたダンであったが、セブンにあこがれる緑川の無垢な言葉を思い出して再び出動する。
 出現した双子怪獣レッドギラスとブラックギラスが島の沈没の犯人であることを知ったダンは、心身の疲れを押してセブンに変身する。

 セブンの苦戦を見つめるおおとりゲンはある重大な決意をした。
 戦いのバトンは今、新たな戦士に渡されようとしていた。
                  (ウルトラマンレオ 第1話へ続く)

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 以上、思いつきながら一気に打ちました。いかがでしょうか(^^;

2000年6月11日に@niftyウルトラマンフォーラムのシリーズ会議室に投稿した文章を加筆。

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2009年2月 8日 (日)

モロボシダンの履歴

Ug1 『ウルトラセブン』第1話で正体不明の風来坊として登場したモロボシダンは、クール星人事件にあたって臨時隊員の資格を得てウルトラ警備隊に同行し、その後功績が認められてウルトラ警備隊に入隊しました。

 現実に公の組織に採用されるには厳重な身元確認があるにもかかわらず、身元不明の風来坊をあっさりと精鋭部隊隊員に採用した地球防衛軍の「度量の広さ」については、ファンの間でよく話題になります。
 実は、第1話の準備稿段階では、ダンの入隊が身元不詳を理由に一度却下されるシーンがあったのです。また、決定稿でも噴霧装置作戦の実行に当たってダンが司令部でヤマオカ長官と参謀たちの前で熱弁をふるい、ヤマオカ長官がOKを出すに当たって「この作戦が成功したら君をウルトラ警備隊の隊員として迎え入れてもいい」と語っているシーンがありました。
 企画段階までさかのぼると、ダンは「ウルトラ警備隊専属の運転手」で、功績を重ねて正隊員に昇格していくサクセスストーリーが予定されていました。(この設定は、森次氏が免許を持っていなかったためにNGとなったそうです)
 もちろん、これらの設定が採用されていたとしても、「何故正体不明の男が隊員に?」という疑念は残りますが、風来坊がいきなり正隊員になった唐突さや不自然さはかなり軽減されたのではないかと思います。
 おそらくは、金城氏をはじめとする作者側もダンがいきなり隊員になる不自然さはわかっていて、それなりの前振りを用意していたものの、様々な事情からその前振りが見送られ完成作品の通りになったということのようです。

 ここで、そうした制作事情のことは忘れて物語世界の中で推理してみます。特殊噴霧作戦を提案した際に、地球防衛軍首脳部はダンの身元に疑念を持っていませんでした。ということは、噴霧装置作戦を提案した時点でダンがその超能力を駆使して自分の履歴を偽造していたと考えるのが、最も辻褄が合うと思います。
 もちろん違法行為ではありますが、異星人であり宇宙平和を何よりも優先するM78星雲人にとって、原始的な民族の法律を必要に応じてくぐり抜けることは緊急避難の範囲内だったのでしょう。(いいのか?)

 ところで、ダンがはじめて名乗ったときに名を問われて一瞬ためらいを見せたことから、「モロボシダン」の名はその場で考えた名と思われます。
 そこで上記の推理が当たっているとすると、ダンは防衛軍基地に収容されてから、作戦提案までの短い時間の間に履歴の偽造を行なったということになりますから、彼の超能力は相当高度なものということになります。透視やテレパシー能力に加えて後年MAC隊長時代に見せた「ウルトラ念力」等々の超能力に、M78星雲人としての科学力が加われば、人間一人分の履歴の偽造ぐらいは朝飯前なのかもしれません。

ヤマオカ「(履歴書を読みながら)なるほど、立派な経歴だね」
ダン  「ええ、よくできてるでしょう(^^)」

1999年7月6日に@niftyウルトラマンフォーラムのウルトラシリーズ会議室で発言した文を改稿。

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2009年2月 1日 (日)

『長編怪獣映画ウルトラマン』のこと

Redkingm 『ウルトラマン』放映当時に、「ウルトラマン ジャイアント作戦」という劇場用映画が企画されていたのは、多くの方がご存知と思います。ウルトラマンを新作映画として銀幕に登場させる構想は長い間あったようで、この「ジャイアント作戦」だけでなく、『ウルトラマン80』制作時の企画案でも「爆発的ヒットが得られた場合は劇場用映画を制作する」という主旨の一文があったそうです。

 その後、劇場用新作ウルトラマンの構想は何度も語られては消え、TVフィルムを使わない作品として実現したのは、短編としては1984年のアニメ映画『ウルトラマンキッズ M7.8星のゆかいな仲間』が最初になり、新作実写特撮としてのウルトラマン映画は1996年の『ウルトラマンゼアス』まで待たなければなりませんでした。

 しかしながら、ウルトラシリーズはTVシリーズを素材とした再編集映画が何度も公開されました。それはある意味苦肉の作だったのかも知れませんが、 そうした再編集映画はそれぞれに一定の興行成績を上げ、劇場でも子どもたちが大いに盛り上がっていました。今見返すと、出演者の少なさやレギュラーセットの多用などTV作品としての“狭さ”は感じるものの、新作怪獣映画と比べてそれほど見劣りする作品ではありません。それは、編集の工夫などもありますが、ウルトラシリーズ自体がTV作品として破格の豪華作品であるため、“素材制作”も計算に入れると並の怪獣映画以上の予算を掛けていることが大きいのでしょう。

 そこで、今回語って見たいのが再編集映画第1作の『長編怪獣映画ウルトラマン』です。これは、「ウルトラ作戦第1号」「怪獣無法地帯」「怪獣殿下(前後編)」を再編集したもので、TVとは多少の変更点があるものの、新規撮影の素材はなく概ねTVシリーズをそのままスクリーンに再現したものでした。話数のセレクトについては、バルタン星人の欠場は気になりますが、円谷一監督作品で統一し「誕生編」「多数怪獣登場編」「大規模ロケの前後編」を組み合わせており、今考えても妥当な組み合わせになっていると思います。(『怪獣無法地帯』を入れることで、広告やポスター等に多数の怪獣名を載せられるという効果も考慮されているのかも知れません)

 公開当時は「ウルトラマンを初めてカラーで見られた」という一点だけで嬉しかった作品です。テレビのフォーマット通りのオープニングも、放映が終わってから3ヶ月経っているので、妙に懐かしさと新鮮さを感じたことを覚えています。こうした印象は、カラー画像が当たり前で、3ヶ月という時間を短く感じている大人の視点では、なかなか追体験できません。 

 もちろん、今の目で見ると突っ込みどころは多々あります。

1:ウルトラマンのデビュー戦であるはずのベムラー戦を編集でカットして、「ベムラーが科特隊に倒される」という新たな筋書きを作ったのは、約一時間半の映画の中で山場が多くなりすぎるのを防ぐためと思います。その効果はあったと思いますが、誰も知らないはずのウルトラマンがレッドキングやゴモラの前に突如出現しているという矛盾を生み出しています。

2:“怪獣殿下”に関係するシーンが大きくカットされているのは、映画としてのバランスを考えれば当然なのですが、そのために無関係の少年が事件の周辺をうろちょろしている矛盾がテレビより目立ってしまっています。

3:TVシリーズ最終回で廊下を走る出動シーンと同38話のシラトリ発進シーンを組み合わせて、「いつもと違う」ビートル発進シーンを演出したのは面白い試みでしたが、シラトリの姿が丸わかりなので、シラトリが発進後にビートルに化けるという奇妙なカットになってしまっています。


 もちろん、公開当時は放映終了後も続いていた空前のウルトラマン人気のまっただ中でしたから、そんな矛盾はどうでもいいことでした。言い方を変えれば、この映画は劇映画と言うよりは、『ウルトラマン』という超人気テレビ番組の“夏休みイベント”だったわけですから、細かい矛盾には目をつぶって楽しく見るのが正しい鑑賞法と思います。 

2008年3月8日mixi日記初出の文章より、ブログ再録に当たって『長編怪獣映画ウルトラマン』についての部分を抜粋し改稿。

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意外と頼らないタロウ

Taro1  何かと誤解されることの多い『ウルトラマンタロウ』ですが、その「誤解」の中でも割とポピュラーなものとして、「すぐ兄弟に助けを求める」というものがあります。
 
 本当にそうでしょうか?
 
 全53話中、ウルトラ兄弟や父母と共演したのは全53話中16話ですが、その中で怪獣や宇宙人との戦いに直接共闘したのは、ライブキング戦(母)、テンペラー星人戦2回目(5兄弟)、ドロボン戦(新マン)ぐらいで、あとは戦い以外での援護だったり、共闘しないで別個に戦っていたりです。実際に『タロウ』を見る限り「家族に頼っていた」というイメージはそれほどありません。
 
 ただし、ウルトラ兄弟が人間体で地球に揃ったシリーズ最大の話題作33,34話での光太郎が、強敵テンペラー星人を前にして兄たちに頼ったり、逆にテンペラー星人一体を倒しただけで慢心してしまったりと、「いつもとは違う」末っ子キャラクターとして描かれているため、この回の印象が強すぎて誤解されている面が大きいと思います。
 この回の光太郎にはまったく困ったものですが(^^;、現実にはいい大人でも、なかなか「一人で謙虚に戦う」というのはむずかしいもので(個人的経験)、そういう意味では自分が大人になった今だからこそ共感できるような気がします。
 
『タロウ』のシリーズ全体を見渡すと、タロウが安易に兄弟に助けを求めたり、逆に増長したりするような描写はほとんどなく、この回の光太郎が異様に浮いているのは惜しまれます。
 もし、『タロウ』の製作方針が『レオ』や『ザ☆ウル』のように「一話完結を原則としながらも、シリーズ全体を一本の物語としていく」という形であれば、シリーズ前半に光太郎の弱さを描いて、兄弟のフォローにより成長していくという話になったのかも知れません。でも、それではタロウの「陽気で強い」という性格は歪んでしまいそうですし(^^;、『タロウ』シリーズの魅力である一本一本のバラエティさも出しにくくなるでしょう。
 
 やはりタロウを強くて陽気なヒーローとして描き、こういうお祭り的な話の中で「典型的な末っ子」としてのタロウ=光太郎を「たまに」見せたからこそ、タロウというキャラクターの隠し味になったのでしょうね。

1996年10月20日 nifty特撮フォーラム「ウルトラマン会議室」で発言

2003年6月29日 個人サイトへの転載にあたり改稿

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